こんにちは。スタッフの新美です。もう一ヶ月以上経ってしまいましたが、2013年7月13日(土)、Give me little more.のオープン日におこなわれた「ブレインストーミングトークセッション」について書きたいと思います。長くなってしまいます。
(photo by Atsuko Yamaguchi)
(photo by Taizen Higuchi)
このトークセッションですが、ゲストの人から何かテーマをもとに話をしていただくようなトークイベントではなく、その場に参加している人の発言をもとにディスカッションが展開されていくような場をイメージして開催いたしました。テーマは、「松本の文化環境」。うーん、ちょっと固めなテーマですが、松本という地域での文化活動について参加した人たちがどんなことを問題視しているのか聞き出して、共有して、考えてみようという会をイメージしていました。落としどころをつけるのが目的ではなく、あくまでいろいろな問題や考えを提示してもらうことが目的であるがゆえの「ブレスト」会なわけです。
それで、実際のところどういう場になったのかというと、文化をめぐる話につきものな重要な視点や、おもしろい話はいっぱい出てきた!、、けれど、「松本の文化環境」について具体的な何かを話していたわけではなく、「松本の文化環境」を考えるというテーマ性はボヤけてしまったというのは否めませんでした。そんなわけで、どうやってこれをまとめて記事にしようかと、頭を悩ませていたわけです。(はい、言い訳です。とても遅れてしまいました…)それで、思ったのですが、この会をなにかひとつの流れで包みこんで語るのはナンセンスで、これから話し合っていくのにふさわしい複数のテーマを見つけ出す会だったと捉え直すべきだということ。つまり、ゆっくりとテーマを深めるためにはもっと一つのテーマを徹底的に話すべきだったわけです。なので、今回のまとめはディスカッションで出された複数の視点を振り返りながら、今後こんな新たなディスカッションの場をたちあげていくための提案をいろいろと書かせていただきたいと思います。反省!
視点 1「パブリックな場が成立するためには?」
「松本にどんな場所があったらいいか?」という投げかけから派生していきなり飛び出してきたのがこの疑問。場所を巡る議論でつきものな「開かれている」とはどういうことなのか、だれにとって「開かれている」べきなのかなど議論しました。いくつか印象的だった発言をピックアップしておきます。
「パブリックであること以前にコミュニティをつくることのほうが大切。コミュニティ同士の連携も考えている。」
「何のためにパブリックをめざすのかが、大切。ただすべての人に対して開いているだけでは、なりたたないのではないか?目的意識をもってつながっていくことが大切なのではないか。」
「実際に新しくコミュニティに入って来る人はどこかからのつながりで入ってくる人が多い。ただ開くだけではなく、人のつながりの仕組みを理解することも大切。」
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次、議論を立ち上げるのであれば、具体的に流動性をもったコミュニティってどういう工夫をしているのかということだったり、その先駆的事例だったり具体的なノウハウの面と、これまで「パブリック」というものがどのように捉えられてきたのかという知識を学ぶ勉強会的な面を取り込んで話し合いたいと思います。
視点2 地域おこし的活動への参入のハードル
地方で何かおもしろいお店だったり、活動をはじめるのは、家賃がとにかく安く、他にもコスト的な面で大きなメリットがあってやりやすいから、やりたいなーと思った時はけっこうサクッと動いてみるのもいいんじゃないかと思っているんですが、実際地方ならではの大変なこともいっぱいあるわけですね。理想ばかりではかたれない、「田舎」的な面倒くさい部分もある地域との付き合い方についての話をしました。
「名古屋の事例だが、古本屋や古着屋やら喫茶店を営みたい若い人が、ものすごく少ないリスクで出店できるアパートタイプのコレクティブショップみたいなのがある。そのくらいの感じで地域でおもしろいことやりやすいようになる環境があってもいいんじゃないか?」
「リスクを小さくすることが、無責任ななんちゃって活動につながってしまうのはよくない。ある程度覚悟をもつことも大切。」
「地域のルールや人間関係を把握してつきあっていくことも大切ではないか。」
「アートスペースとかが地域のためにだとか、地域と仲良く、的な売り方をしているのをよく見るけど、地域にせっかく新しく入ってきた血なのに、その土地独特のルールに100%従う必要はないんじゃないのか?」
「伝統的にみえるお祭りでも実際、歴史的にみれば結構新しいものも多かったりする。そんな浅い歴史は無視してもいいという考え方も出来る。けれども、それを重要視している人が実際にいるわけだから簡単に軽視できるという問題でもない。無くすか残すかみたいな二元論じゃない方法は探せないのか?」
「ルールに従うというか、その土地での自分のポジションみたいなものを確立するためにも、周りのルールは知る必要がある。」
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これは、是非、町内会長さんだとか、地域社会側の実情をわかっている人に来てもらって、どういう部分をかみ合わせていけば新参者と地元人のいい関係が築けるのかという話ができたらおもしろいなと思いました。ルールを守ろうとか、守りたくないだとか、田舎ってこんなに変、みたいな話をしていても仕方ないわけなので。
視点3 「消費的態度、生産的態度について」
これは一番白熱した話題。消費者的態度になりやすいことの問題点と、そもそもそれ自体問題なのか問題。クリエイティブであるということ至上主義を考えなおさせられるというか、あらためて何で自分らはこういう明確な答えなど無い面倒くさい話を好き好んで話し合うのかということだったり、どうすればもっと作り手と受け手のいい関係が築けるのかという話だったり、その境界はどこまで必要かということだったり、いろいろな重要ポイントを内包していた話でした。
「今は生産者的な存在にパッとなれるけど、実際どうかというとその人の将来も含めた時間的なつながりを生み出すことができないものばかり。そういう意味では生産的に見えても単なる時間の消費にしか過ぎないものが多い。」
「ディアゴスティーニの組み立てキット買って満足することと、スーパーで安い商品必死になって組み合わせて買っている人ならどっちがクリエイティブといえるのか。ものをつくってるからクリエイティブというわけでもなく、消費をしているからといって消費的であるかというと表面だけでは実際、わからない。」
「携帯でパッと撮ってアップロードした写真も作品といえるとすれば、作品の流通量がひたすら多くなる。それはそれでいいけれども、消費者がいないのにひたすら生産者ばかりが増えていくことへのバランスは考えないといけない。」
「そういう時代においてこれから重要になってくるのは、ただ消費するだけではなく、いかにおもしろくものごとを受け止められるか。その「受容者」の存在。」
「人をただの情報だけ判断する消費者にするのか、自分でいろいろな視点で判断できる受容者にするのかは、発信者側のやり方にもよる。発信者側とゆっくり話す時間だったり物をしっかり選ぶ時間をもつ仕組みをつくることが大切。」
「そもそも情報で判断することって悪いことなのか、たしかに気持ち悪いとは思うけど、その人が楽しかったらそれでいいんじゃないのか?」
これは、同じテーマで、いろいろな人の本音をもっと聞いていてみたいというところですね。「消費者の何が悪い?」という強力な開き直りを前にして、どんな発言をみんながするのだろうか?と個人的にはとても興味があります。
視点4 「批評」を成立させるためには?
これはもともと設定していたテーマのひとつで、最後に時間で切ってしまいましたが、白熱しました。そもそも「批評」というものが何なのかというところのそれぞれの認識の違い自体が、おもしろい議論を生みました。
「濃い人間関係が愛を前提とした批評を生む」
「徹底してお客さんである立場からできる批評もある」
「批評することの意味は、文化というそもそも曖昧な物を一度切り取ってきちんと可視化すること。批判とは違う。批評は、どういう楽しみ方ができるかを提示することだと思う。」
「批評文化は大切だが、批評する人の安全性や発言のしやすさをどう確保するべきか。」
「人の目に見える場所で議論することが大切」
「紙媒体の批評って正直、ことさら地方においてニーズあるのか。従来の批評メディアからはみだしたところでいかに批評”性”を確保するかが大切なのでは。」
「批評できない時って、自分の判断力がしょぼいのか、単にコンテンツ自体の質がショボいのかわからない時がある。」
「お客さんに批評的な感想を求めるのは酷なんじゃないか。批評は、こういう空間でやればいいと思う。」
それぞれが思う「批評」がどういうことなのか、実践してみる機会をつくっていくことが大切なのだなーと。読書会的アプローチで、いろいろな表現物だったりをみんなで「批評」してみるような場を企画してみようと思いました。
ここまで、新しいディスカッションの機会として展開できそうな4つのテーマごとに議論を振りかえってみましたが、いやー読むのがしんどい量ですね!いろんな要素がごった煮にされた会だったのだなということをあらためて思いますね。ブレストのままやりっ放しにしていても仕方が無いので、次なる企画へと発展させていきたと思います。
議論全体の雰囲気として、「文化エリート主義」的な立場に陥らないようにどうすればいいのかということをどこかでみんな意識しながら話しているように感じました。ただ、一方で最後に出てきたのは「こういう場自体そもそもサブカル。本流でやっていくことのほうがサブカルよりも大変なわけだから、いかにこういう場をメインストリームにのっけていくのかをかんがえるべきじゃないか。」という意見も挙がりました。やっぱり、どこかしら「文化エリート」っぽい雰囲気って消えないし、無理に消そうとするだけ無駄なんかな、と。こういう参加者全員参加型のトークセッションが誰のために存在しているのか、そんなことを考えさせられております。
なお、この振り返り記事、とてーも平たく書いております。なので、アカデミックな視点から考察してくれている共同企画者の石田大祐くんによるレビューもあわせてお読みいただけるとより踏み込んだ視点でこの議論を振り返られるのではないかと思います。
「文化についての試論、または文化受容のためのエクササイズ」
また、今回のトークテーマ3の消費の話と関連しそうな記事で、「超初級サブカル女子入門」というコンシャスすぎることの落とし穴を皮肉たっぷりに見事についた良記事を読んだのであわせてここに紹介しておきます。
「"超"初級サブカル女子入門」
トークセッション、今後もさまざまな形態、テーマでやっていくと思いますので、ぜひチェックしていてください!