2019-03-08

2019年3月8日(金)「 原田茶飯事 Live in Matsumoto」


 
原田茶飯事と黒の他人

全国を縦横無尽に飛び回るムーディー&トロピカルポップシンガーによる
極上グルーヴなバンドセット!

年間100〜200本ものライブを行い、全国を縦横無尽に飛び回る極上トロピカルポップシンガー”原田茶飯事”によるスリーピースバンドセット”原田茶飯事と黒の他人”が登場。メンバーは、フリーソウル、ロックステディ、アフロビート、カリビアンなどを飲み込んだ灼熱のブラスロッカーズバンド”RIDDIMATES”のベーシスト”田名網ダイスケ”と、ちくわを配布しながらダビーにノイズにパーティーする異形音楽集団”ちくわテイスティング協会”にも参加し、ソロではサンプルパッドに吹き込んだゲーム音楽の断片が飛び交う狂乱のドラムソロを繰り広げる”イトマン”。カエターノ的祝祭感溢れるブラジル音楽、70'sシティポップ〜キリンジ、Lampにもリンクするいい匂いのする部屋に寝そべるような心地よさに溢れる極上ムーディーポップサウンドと、誰もが言ってみたいけれど、なかなか口に出せない本音に切り込む、不純も、空疎感もまるごと受け止めるようなリアリズムな優しさのリリックがコントラストをなす彼の歌。そんな音楽が、会話するように間を生み出していく手練なリズム隊と生み出すケミカル。前回のギブミーでの演奏でも、土着感と洗練が交差する素晴らしい演奏を聞かせてくれた彼ら。中南米音楽、ファンク、レゲエ、ソウル、シティポップ好きはもちろん、ジャンルに関わらず歌モノポップ好きは必見です!

共演は、この3組。日常を高解像度で切り取ったヒリヒリとした歌詞世界が刺さるフォークマナーの歌心とジャングリーポップサウンドのコントラストが眩いインディポップバンド”コスモス鉄道”。今回から新編成ということで変化を遂げていく彼らの演奏にも期待が高まります。

Mac DeMarco以降のリゾート感漂うlo-fiなポップセンスと、古ぼけた文化住宅が似合う日本語フォークの世界、その真逆な両極をつないだ新感覚フォークを奏でるミヤザワカイによるギター弾き語り“ボブ次男”。

ローファイな演奏を巡る、事件性たっぷりなライブ感が胸を打つ!独特なハイトーンボイスとやけっぱちの美しさが煌めく歌心で日本中を転がる放蕩ロックスター"岡沢じゅん”によるバンド編成”だんだんよくなる”。


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2019年3月8日(金) Give me little more.
 「 原田茶飯事 Live in Matsumoto」
▽Live:原田茶飯事と黒の他人(東京) / コスモス鉄道 / ボブ次男 / だんだんよくなる
▽料金:(前)¥2,000 (当)¥2,500 +1Dオーダー
▽時間:(開場)19:00 / (開演)19:30
予約:give.melittlemore@gmial.com

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原田 茶飯事



5月2日大阪出身、クリームチーズオブサン解散後
2009年から東京在住。
芸名に水が絡むと運気があがるとのことで
原田茶飯事と名乗っている。

ソフトロックやMPBの洒落っ気、
茶目っ気を感じさせながらも
口から半分 魂の出たような
ステージングは必見。
全国の演奏旅行を生業としながら
野外フェスでのライブも務め、各地に顔見知りを増やしている。

ソロとバンドを使い分け
節操無く渡り歩く
全方位型シンガーソングライター。

岡沢じゅん
徳島県生まれ、小学校1年まで愛媛県、そのあと高校1年の夏まで岡山県倉敷市、高校1年の2学期からまた愛媛に戻り、ファッションデザインに興味を持ちはじめる。 
信州大学繊維学部入学後、前期を終えて休学し渡英、ノッティンガムトレント大学基礎デザインコースに。ある日大学の図書館でJean Dubuffetの画集に出会い、後期からファインアートへ。 
絵は学校で学ぶものじゃないと思い、1年で帰国。将来が真っ白になり、ふとバンドがやりたかったことに気がつく。 
唯一知っているギターの弾ける友達の元ちゃんに電話。 
「バンドやらない?」「いいよー」と彼が言ったので、松本市へ。 
しかしいっこうに本気出してくれないので、友人を頼って長野市へ。 
この頃からすでに居候癖があった。 
休学中だったので大学に籍があり、朝9時から夜9時まで大学の音楽室に入り浸り、ピアノを弾いたりドラムを叩いたりしていた。 
この頃には既に、恵比寿の某ギターショップにてマディーウォーターズレリックのテレキャスターに一目惚れ、持っていたお金ぜんぶはたいて手に入れている。 
大学の友人が海で亡くなり、追悼ライブのため『ざ・はっぴいず』結成。 
ライブハウスから電話がかかってきたのを機に、本格的に活動を開始。この頃には漠然とだけど、絵と唄でやっていこうと決めている。ひとつには絞れなかった。 
満員御礼ワンマンライブ、そしてはじめての関西ツアー、京都磔々、梅田ハードレイン、伊勢リズムという、最高の3日間。 
しかし、メンバーの就職で2004年の3月に活動停止。 
4月から愛媛へ。6月に結婚、11月に息子が生まれる。 
2005年に長野市に戻り、絵と唄の両方でなんとかやっていこうとする。 
子供が1歳になるころだったか、制作のため友人の親が所有していた雑居ビルにアトリエを構え、3階、3Fということで、fafafastudioと命名。 
向かいの部屋に住んでいたサッシにバンドを持ちかけ、『ザ・ビアーズ』結成。 
スタジオや3階、または市民用の貸しスペースに楽器を持ち込んで狂ったようにリハーサル。実際、狂っていたと思う。 
いや、ただ何もわかってはいなかったのだ。未だにそうではあるけれど。 
2008年、バンドはどんどんよくなっていたが、お金は底をついて、ファーストアルバムのレコ発のタイミングで全てがピークに至り崩壊、バンドも家族も僕自身も。 
すべて無くした気で、もう歌えそうになくなっていたけど、名古屋のJaajaのゆうにゃんが、いい歌なんだから歌ってよ、と言ってくれて、いろんなところに連れていってくれたおかげで、ゆっくりとなんとか復活。 
2010年夏、Jaajaといっしょにスウェーデン、ドイツと演奏ツアー。それまでに2枚のデモCDを制作。 
2011年東日本大震災。そのあとの5月にソロのファーストアルバム、「太陽が濡れている」発売。 
2012年4月頃、家賃が全然払えなくなってきて、強制退去。 
持ち物をほとんど処分して手に持てるだけにし、家なしに。 
ぎりぎりセカンドアルバム「涙で冷やして」完成も、録音や最終ミックスを急いで仕上げたため、なんとなく出せずじまいで今のところお蔵入りに。 
サッシが引っ越したあと、すこしのあいだ向かいに住んでいたイクマくんの松本の家に居候することが増えて、いつのまにか『ぐっとクルー』結成。 
信大銀嶺祭のおりに、にーみくん、いくまくんと3人で演奏したのがきっかけ。 
最初はエレキギター2本とドラムのベースレスだった。 
そのあと5人編成になったりしつつも、いくちゃんとふたり編成に。 
いくちゃんはベースのナガハピくんの家に転がり込み、そこによく行っているうちに今の3人に。 
2013年大晦日、読売ランドのそばに住みはじめて、今に至る。 
2014年2月、ぐっとクルーのファーストアルバム『もたれないワールド』を縁あってP-VINEよりリリース。