2015-10-16

2015年10月25日(日)『回帰線の南から』田中研二2015帰国ツアー:第六夜(松本公演)




1枚のアルバムをリリースしてシーンから姿を消した
松本に縁の深い伝説的アンダーグランドフォークシンガー
田中研二がオーストラリアより凱旋。

大学時代を松本で過ごし、『女鳥羽川』『すすき川の流れる所』という曲も残した伝説的カルトフォークシンガー・田中 研二がやってきます。松本で歌い始め、その後関西に移動し、フォークパルチザンとして活動。学生運動系の集会などではそのシニカルな歌といつも上ずった声で忙しく唄うそのスタイルが一部で熱狂的な人気に。彼のたった一枚の音源は、兵庫県のキャンプ場で1974年に一発録音された自主制作盤『チャーリーフロイドのように』。この一枚の演奏には友部正人らも参加し、アナログ700枚限定でリリース。軽妙なブラックユーモアに溢れた歌詞は、乾いた笑いを誘う一方、どこに転がって行くのわからない70年代前半の空白感を見事に反映しているようにも聴こえます。現代の空気感にもリンクするところがあり、先日ギブミーでもライブを行った20代のフォークシンガー・工藤祐次郎や、山本精一+見汐麻衣(ex:埋火)もカバーし、彼の歌心はアンダーグラウンドフォークシーンに引き継がれています。80年代に入り、放浪癖が昂じ南半球へと移住し、シーンから姿を消してしまった彼。2015年、まさかの来日ツアーライブ、縁の深い松本でも開催です!!

2015年10月25日(日)
「『回帰線の南から』田中研二2015帰国ツアー:第六夜(松本公演)」
■出演:田中 研二
■時間:開場18:30 / 開演19:00
■料金:(一般)¥2,500 / (大学生以下)¥1,000(*ドリンク代別)

■出演者プロフィール
田中 研二


中国山地の片隅で、団塊世代として生まれるが、まもなく大阪に移る。

信州大学理学部工業化学科に入学するが、もっぱら音楽にうつつを抜かす。
歌い始めたきっかけはもてないために時間を持て余したから。

1970年: 中津川の椛の湖畔で開催されたフォーク・フェスティバルを見に行く。「ひがしのひとし」と知り会う。

「真知子ちゃん」の紹介で、名古屋までヒッチハイクし、「友部正人」や「いとうたかお」に会う。友部正人に借金して帰える。

1971年頃: 名古屋の鶴舞公園で初めて人前で歌う。この頃より名古屋、京都、大阪、東京に足を伸ばすようになる。京都にひがしのひとしを訪れ、
ついでにライブハウスで歌っていた「豊田勇造」のブルースを、初めから終わりまで彼の後で聞く。

1972年: 大阪天王寺野外音楽堂で開かれた「春一番」で歌う。

1973年: 大阪に戻り、大阪、京都、神戸周辺のライブ・ハウスを荒らして回る。
フリークを根城にしていた元「20世紀の谷間社」のグループと、四国、九州、沖縄の珍道中を敢行する。
那覇で「公園のD51」を見る。この珍道中の成果がレコードになる。

1988年: 放浪癖が昂じ、当時のはやりでオーストラリアに国外逃亡する。
1989年: シドニーでアイルランド・ゲール語とアイリッシュ・フィドルを習う。
1992年: オペラハウスを背景に、友人とアイルランド・ゲール語で「ワルツィング・マチルダ」を歌い、アイルランド全土にテレビ放映される。

CD:「チャーリー・フロイドのように」
    「LIVE '74 & '80」

著書:「バイクとキウィたち」(冬樹社)。翻訳: 「ロビンがはねた」全2巻(冬樹社)、
   「オーストラリア-グルメ・パラダイス」、「オーストラリア-伸びゆく国」
   (シドニー、フォーカス出版社)他多数。雑文、雑翻訳の類は数え切れない。)
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文学のような歌の表現に、彼の歌を生で聞いていた時代が鮮烈によみがえる。
そこには今も、なれ合いをかたくなに拒んだ彼の姿がある。 (友部正人)