(イベントフライヤー)
LITTLE AKIHABARA MONUMENT
――アヴァンギャルドでもキッチュでもないもののためのモニュメント――
現代アートシーンとネット・オタクカルチャーをつなげ物議を醸しだした
カオスラウンジの黒瀬陽平がGive me little more.でトークイベントを開催!
「アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。」
衝撃的な「カオスラウンジ宣言」を皮切りに、東浩紀を中心とした論壇シーンでの活躍、村上隆との論争、pixiv騒動など、テン年代のネットカルチャーとアートに動議を呈してきた現代美術集団カオスラウンジ。そのブレーンである美術評論家の黒瀬陽平がこのたび初単著『情報社会の情念 クリエイティビティの条件を問う』(2013 NHK出版)を刊行。発売を記念して、Give me little more.にてトークイベントを開催いたします。
モバゲー、GREE、らき☆すた、仮面ライダーディケイド、寺山修司、岡本太郎、HUNTER×HUNTER、そして東日本大震災…ジャンルも時代も全く異なる様々なカルチャーや社会背景を横断しながらクリエイティビティの条件を問う『情報社会の情念』に関するお話や、黒瀬氏がキュレーションした昨年12月開催の『 LITTLE AKIHABARA MONUMENT――アヴァンギャルドでもキッチュでもないもののためのモニュメント――』など、黒瀬氏の最新の動向や、そしてこれまでの活動についてお話をお聞きします。
私たちにとって既に触れた事がある、聞いたことがあるような題材から現代アートに話を拡張していただく入門的な内容になります。これからの表現活動のゆくえを見ていくこの機会にぜひ、ご参加ください。
<宣言文>
ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本のアートは何も生み出さなかった。
今、われわれの目の前に広がっているのは、欧米を真似たアートフェアの乱立によって作られた、ありもしない国内アート・マーケットの表象と、助成金を喰い物にしながら無限に繰り返される慈善事業だけである。
この風景は、ゼロ年代の幕開けに突きつけられた、日本のアートについての問い(「日本ゼロ年」、「オタク」、「スーパーフラット」……)を徹底的に無化することによって成立している。
ゼロ年代に入って、ますますわれわれの生活を変容させた情報化の進展は、あろうことかアートにおいて、日本と世界の格差を埋めるものとして、きわめて楽観的に解釈された。
日本のアートはアクチュアルな文化であることをやめてしまった。
アーティストたちは「物」に充足することで、「情報」から目を逸らし、ナマな文化の営みに身を晒さない。無根拠なアートの神秘性によって身分を保障されると同時に、小器用な職人として囲い込まれている。
「悪い場所」は再び隠蔽された。
ゼロ年代の間、CHAOS*LOUNGEは地上に姿を現さなかった。なぜなら地上は、本当は焼け野原であることを知っていたからだ。
Google、2ch、mixi、Flickr、YouTube、ニコニコ動画、Twitter、Tumblr……、CHAOS*LOUNGEはネットの中で、主にアーキテクチャと呼ばれるインフラストラクチャーの変化と共に存在していた。
そこは常に、膨大に、匿名的な想像力がうずまき、作品未満の作品、コンテンツ未満のコンテンツが現れては消える場所であり、にもかかわらず、作者性に目覚めてしまった有象無象の集う場所である。
増殖を続けるアーキテクチャは、アートの神秘性を認めない。そこでは、すべてが可視化され、分類され、操作可能となる。
内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく。
人間の内面は、アーキテクチャによる工学的な介入によって蒸発する。
CHAOS*LOUNGEから生まれたアーティストは、それでもなお、地上に脱出することはなかった。なぜなら、地上で生み出されているものはアートではないと知っていたからだ。
彼らは、アーキテクチャによる工学的介入を、一度は徹底的に受け入れる。アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。
しかし、彼らは、アーキテクチャによる工学的介入の結果に対し、さらに人為的に介入を試みるのである。
彼らは、アーキテクチャによって、自動的に吐き出される演算結果を収集する。そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算を開始するのだ。
CHAOS*LOUNGEは今、ようやく、ここに姿を現す。
単なる「情報」でも「物」でもない、アーキテクチャ時代のアート、すなわち、一〇年代のアートとして。
衝撃的な「カオスラウンジ宣言」を皮切りに、東浩紀を中心とした論壇シーンでの活躍、村上隆との論争、pixiv騒動など、テン年代のネットカルチャーとアートに動議を呈してきた現代美術集団カオスラウンジ。そのブレーンである美術評論家の黒瀬陽平がこのたび初単著『情報社会の情念 クリエイティビティの条件を問う』(2013 NHK出版)を刊行。発売を記念して、Give me little more.にてトークイベントを開催いたします。
モバゲー、GREE、らき☆すた、仮面ライダーディケイド、寺山修司、岡本太郎、HUNTER×HUNTER、そして東日本大震災…ジャンルも時代も全く異なる様々なカルチャーや社会背景を横断しながらクリエイティビティの条件を問う『情報社会の情念』に関するお話や、黒瀬氏がキュレーションした昨年12月開催の『 LITTLE AKIHABARA MONUMENT――アヴァンギャルドでもキッチュでもないもののためのモニュメント――』など、黒瀬氏の最新の動向や、そしてこれまでの活動についてお話をお聞きします。
私たちにとって既に触れた事がある、聞いたことがあるような題材から現代アートに話を拡張していただく入門的な内容になります。これからの表現活動のゆくえを見ていくこの機会にぜひ、ご参加ください。
2014年2月8日(土)
黒瀬陽平(カオスラウンジ)「情報社会の情念 クリエイティビティの条件を問う」
発刊記念トークイベント
トーク:黒瀬陽平(カオスラウンジ)
開場:18:30 / 開演:19:00
入場:1,000円(要1Dオーダー)
黒瀬陽平 (カオスラウンジ)
「カオスラウンジ宣言2010」黒瀬陽平(カオスラウンジ)「情報社会の情念 クリエイティビティの条件を問う」
発刊記念トークイベント
トーク:黒瀬陽平(カオスラウンジ)
開場:18:30 / 開演:19:00
入場:1,000円(要1Dオーダー)
黒瀬陽平 (カオスラウンジ)
美術家、美術評論家、美術予備校教師。
2010年4月に「カオス*ラウンジ宣言」を発表後、
藤城嘘と共同企画「カオス*ラウンジ in高橋コレクション日比谷」を開催。同年5月にカオス*ラウンジ企画第二弾として、ネットワークを使って遊ぶ「ギーク」達に焦点をあて た「破滅*ラウンジ」を開催、様々な議論を呼ぶ。『思想地図』に掲載された公募論文「キャラクターが、見ている。──アニメ表現論序説」などでも注目を集 める。主な論文に「新しい「風景」の誕生 —セカイ系物語と情念定型」など。
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経歴
2010年 GEISAI大学 第4シーズンで講義を開催/カイカイキキギャラリー
GEISAI#14 GEISAI大学出張版! GEISAI CRITICAL MEDIA ブース出展
2009年 GEISAI#12 東浩紀氏「非公式ゼロアカスペシャルトークライブ」
メガホントーク出演。
2008年 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了
批評誌『Review House』創刊
『思想地図』vol.1に公募論文を発表
2006年 京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科卒業
1983年 高知県生まれ
〈個展〉
2010年 「ミステリーツアー」Hidari Zingaro(東京)(予定)
〈グループ展〉
2010年 「破滅*ラウンジ」NANZUKA UNDERGROUND (東京)
「カオス*ラウンジ」高橋コレクション日比谷(東京)
2004年 戯曲「狂泉」(高知県立美術館ホール/高知)
「京都アートアニュアル2004」(京都造形芸術大学/京都)
2002年 「NO BORDER展」高知県立美術館(高知)
<宣言文>
ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本のアートは何も生み出さなかった。
今、われわれの目の前に広がっているのは、欧米を真似たアートフェアの乱立によって作られた、ありもしない国内アート・マーケットの表象と、助成金を喰い物にしながら無限に繰り返される慈善事業だけである。
この風景は、ゼロ年代の幕開けに突きつけられた、日本のアートについての問い(「日本ゼロ年」、「オタク」、「スーパーフラット」……)を徹底的に無化することによって成立している。
ゼロ年代に入って、ますますわれわれの生活を変容させた情報化の進展は、あろうことかアートにおいて、日本と世界の格差を埋めるものとして、きわめて楽観的に解釈された。
日本のアートはアクチュアルな文化であることをやめてしまった。
アーティストたちは「物」に充足することで、「情報」から目を逸らし、ナマな文化の営みに身を晒さない。無根拠なアートの神秘性によって身分を保障されると同時に、小器用な職人として囲い込まれている。
「悪い場所」は再び隠蔽された。
ゼロ年代の間、CHAOS*LOUNGEは地上に姿を現さなかった。なぜなら地上は、本当は焼け野原であることを知っていたからだ。
Google、2ch、mixi、Flickr、YouTube、ニコニコ動画、Twitter、Tumblr……、CHAOS*LOUNGEはネットの中で、主にアーキテクチャと呼ばれるインフラストラクチャーの変化と共に存在していた。
そこは常に、膨大に、匿名的な想像力がうずまき、作品未満の作品、コンテンツ未満のコンテンツが現れては消える場所であり、にもかかわらず、作者性に目覚めてしまった有象無象の集う場所である。
増殖を続けるアーキテクチャは、アートの神秘性を認めない。そこでは、すべてが可視化され、分類され、操作可能となる。
内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく。
人間の内面は、アーキテクチャによる工学的な介入によって蒸発する。
CHAOS*LOUNGEから生まれたアーティストは、それでもなお、地上に脱出することはなかった。なぜなら、地上で生み出されているものはアートではないと知っていたからだ。
彼らは、アーキテクチャによる工学的介入を、一度は徹底的に受け入れる。アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。
しかし、彼らは、アーキテクチャによる工学的介入の結果に対し、さらに人為的に介入を試みるのである。
彼らは、アーキテクチャによって、自動的に吐き出される演算結果を収集する。そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算を開始するのだ。
CHAOS*LOUNGEは今、ようやく、ここに姿を現す。
単なる「情報」でも「物」でもない、アーキテクチャ時代のアート、すなわち、一〇年代のアートとして。