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2019-10-09

2019年10月9日(水)「工藤 祐次郎 "暑中見舞い"リリースツアー 松本編 」

工藤 祐次郎

時代錯誤の最新型日本語アンビエントフォークシンガー"工藤 祐次郎"が
新作ミニアルバム「暑中見舞い」を提げ、登場!

東京発、曽我部恵一主宰のROSE RECORDSよりリリースを行う時代錯誤の最新型日本語アンビエントフォークシンガー”工藤 祐次郎”が、突如発表したミニアルバム「暑中見舞い」を提げて、ギブミーに登場します!たぬき、そば殻まくら、ウーロンハイ、どすけべ、うなぎ 、椿、葬儀屋…下町感溢れる生活が匂い立つ言葉が詰め込まれた土臭いジャパニーズフォークと、アンビエント/ポストロック/USインディを共同生活させた「高田渡ミーツジム・オルーク」or「細野晴臣 meets ウィルコ」と評される独自の音響フォークを展開する彼。今作「暑中見舞い」は、ギター1本のシンプルな弾き語りによる力が抜けたようでいて、言葉の走り方に磨きがかかり、その実、切れ味がシャープな楽曲が並びます。エフェクトやシンセなども用いたライブセットでは、乾いた爪弾きのフォークギターが、徐々に涼しい残響に包まれて、気づくと別次元へワープ。ごく身近な生活圏の中にポッカリと異界への扉が開いているような彼の歌世界、ぜひ味わっていただきたい!

共演は、この2組のシンガーソングライター。

山梨の鬼才フォークシンガー”鳩山 浩二”。太いバリトンボイスの美声に、ダイナミックたっぷり流麗なギタープレイで、ユーモアと悪意と趣味世界が交差する21世紀のフォーク〜ブルース〜ブギウギ〜シャンソンを奏でます。連想ゲームのように勝手に走り出す言葉の暴走列車!毎回、会場を驚きにつつむそのパフォーマンスも必見。

ダニエル・ジョンストンを彷彿とさせるあまりにも独特なハイトーンボイスの放蕩ロックスター"岡沢じゅん"。チューニングが狂おうが、弦が切れようがおかまいなし、歌の骨格が凄まじく僕らの心を掻きむしる、崩壊寸前な彼の魅力をまるごと味わえるソロセット。

三者の強烈にユニークな歌心が交差する一夜!

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2019年10月9日(水) Give me little more. 
工藤 祐次郎 "暑中見舞い"リリースツアー 松本編 」 
▽Live: 工藤 祐次郎(東京) / 鳩山 浩二 / 岡沢じゅん  
▽料金: (前)¥1,800 / (当)¥2,300 + ドリンク代別
▽時間:(開場)19:00 / (開演)19:30 
▽予約:give.melittlemore@gmail.com

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工藤 祐次郎

1987年生まれ宮崎県出身
阿佐ヶ谷在住

メインストリームの脇道をのびのびと歩くような音楽を好み、心がけるのは風景とユーモア。ひとりぼっちのための音楽を作りつづけている。

ライブはアコギによる弾き語りをベースとしながらもシンセサイザーや空間系エフェクターなども駆使。朴訥とした佇まいから土臭さと浮遊感の混ざった立体的なサウンドを生み出している。

2012年春 引きこもり生活から一念発起しYouTubeにMV「ねこの背中」をアップ、同年夏1stアルバム『ねことお化けと台所』発表。2015年夏 豪華ゲストを迎えて制作した2ndアルバム『葬儀屋の娘』をリリース。ある日突然ツイッター上で曽我部恵一に「名盤」と絶賛され腰を抜かす。そんな縁から3rdアルバム『団地の恐竜』を11月28日にROSE RECORDSよりリリース。

前世占いは三葉虫。 

鳩山浩二


岡沢じゅん


徳島県生まれ、小学校1年まで愛媛県、そのあと高校1年の夏まで岡山県倉敷市、高校1年の2学期からまた愛媛に戻り、ファッションデザインに興味を持ちはじめる。 
信州大学繊維学部入学後、前期を終えて休学し渡英、ノッティンガムトレント大学基礎デザインコースに。ある日大学の図書館でJean Dubuffetの画集に出会い、後期からファインアートへ。 
絵は学校で学ぶものじゃないと思い、1年で帰国。将来が真っ白になり、ふとバンドがやりたかったことに気がつく。 
唯一知っているギターの弾ける友達の元ちゃんに電話。 
「バンドやらない?」「いいよー」と彼が言ったので、松本市へ。 
しかしいっこうに本気出してくれないので、友人を頼って長野市へ。 
この頃からすでに居候癖があった。 
休学中だったので大学に籍があり、朝9時から夜9時まで大学の音楽室に入り浸り、ピアノを弾いたりドラムを叩いたりしていた。 
この頃には既に、恵比寿の某ギターショップにてマディーウォーターズレリックのテレキャスターに一目惚れ、持っていたお金ぜんぶはたいて手に入れている。 
大学の友人が海で亡くなり、追悼ライブのため『ざ・はっぴいず』結成。 
ライブハウスから電話がかかってきたのを機に、本格的に活動を開始。この頃には漠然とだけど、絵と唄でやっていこうと決めている。ひとつには絞れなかった。 
満員御礼ワンマンライブ、そしてはじめての関西ツアー、京都磔々、梅田ハードレイン、伊勢リズムという、最高の3日間。 
しかし、メンバーの就職で2004年の3月に活動停止。 
4月から愛媛へ。6月に結婚、11月に息子が生まれる。 
2005年に長野市に戻り、絵と唄の両方でなんとかやっていこうとする。 
子供が1歳になるころだったか、制作のため友人の親が所有していた雑居ビルにアトリエを構え、3階、3Fということで、fafafastudioと命名。 
向かいの部屋に住んでいたサッシにバンドを持ちかけ、『ザ・ビアーズ』結成。 
スタジオや3階、または市民用の貸しスペースに楽器を持ち込んで狂ったようにリハーサル。実際、狂っていたと思う。 
いや、ただ何もわかってはいなかったのだ。未だにそうではあるけれど。 
2008年、バンドはどんどんよくなっていたが、お金は底をついて、ファーストアルバムのレコ発のタイミングで全てがピークに至り崩壊、バンドも家族も僕自身も。 
すべて無くした気で、もう歌えそうになくなっていたけど、名古屋のJaajaのゆうにゃんが、いい歌なんだから歌ってよ、と言ってくれて、いろんなところに連れていってくれたおかげで、ゆっくりとなんとか復活。 
2010年夏、Jaajaといっしょにスウェーデン、ドイツと演奏ツアー。それまでに2枚のデモCDを制作。 
2011年東日本大震災。そのあとの5月にソロのファーストアルバム、「太陽が濡れている」発売。 
2012年4月頃、家賃が全然払えなくなってきて、強制退去。 
持ち物をほとんど処分して手に持てるだけにし、家なしに。 
ぎりぎりセカンドアルバム「涙で冷やして」完成も、録音や最終ミックスを急いで仕上げたため、なんとなく出せずじまいで今のところお蔵入りに。 
サッシが引っ越したあと、すこしのあいだ向かいに住んでいたイクマくんの松本の家に居候することが増えて、いつのまにか『ぐっとクルー』結成。 
信大銀嶺祭のおりに、にーみくん、いくまくんと3人で演奏したのがきっかけ。 
最初はエレキギター2本とドラムのベースレスだった。 
そのあと5人編成になったりしつつも、いくちゃんとふたり編成に。 
いくちゃんはベースのナガハピくんの家に転がり込み、そこによく行っているうちに今の3人に。 
2013年大晦日、読売ランドのそばに住みはじめて、今に至る。 
2014年2月、ぐっとクルーのファーストアルバム『もたれないワールド』を縁あってP-VINEよりリリース。