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2017-07-08

2017年7月8日(土)ライブイベント『鼻歌から墓場まで』


yok

名古屋からキャットパワーを彷彿とさせるナチュラルな魅力の女性フォークシンガーが登場!

歌の魅力に取り憑かれた表現者たちによるライブイベント『鼻歌から墓場まで』。


今回のゲストは、名古屋在住の女性フォークシンガーYOK.(ヨック)が、久しぶりにギブミーに登場します。P-VINEよりリリースのセカンドアルバム『歌ったり踊ったりする』で一躍、その名前が全国のインディ・フォークファンの間に浸透。木漏れ日のキラキラの中で踊る重力から自由なメロディ、キャット・パワーやヴァシュティ・バニヤンを彷彿とさせる暖かさと憂いを内包した暖色の歌声、清流をイメージさせるアルペジオギターの調べ…現代美術作家/ペインターの奈良良智や杉戸洋らも賛辞を送る彼女の歌声は、次々と聴く人の頭に情景を喚起させます。ここ数年は、ガットギター弾き語りのシンプルなライブスタイルから、ルーパーを用いた多重録音コーラスワークとエレキギターによるセットでの演奏も展開。彼女のナチュラルな音楽性は、アシッドフォーク、トラッドフォーク、オルタナフォーク好きはもちろん、アイスランド音楽好きにもぜひ聴いていただきたい!


共演は、3組(一組未定。)1組目は、最近は松本に根を下ろしつつある放蕩ロックスター"岡沢じゅん"あまりにも独特なハイトーンローファイボイスには無条件で涙と笑いが!チューニングが狂おうが、弦が切れようがおかまいなし、歌の骨格が凄まじく僕らの心を掻きむしる、崩壊寸前な彼の魅力、まるごと味わえるソロセットは必見。


2組目は、リンダ・パーハックスを彷彿とさせる翳りを帯びた声で周囲の空気を一変させる才女アシッドフォークシンガー"ごま"によるバンドプロジェクト"グリーンパル"。ギター、ヴァイオリン、パーカッション、ベースによる無駄を削ぎ落としたスロウコアなアンサンブルが心地よい!


それぞれの「人間」が滲み出た、ときに暖かく、ときに気怠く、ときに危うい、歌モノの一夜。



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2017年7月8日(土) Give me little more.
ライブイベント『鼻歌から墓場まで』 
▽出演:YOK.(名古屋)、岡沢じゅん、グリーンパル 他
▽料金:(前)¥1,500/(当)¥2,000 *ドリンク別
▽時間:19:00(開演)/18:30(開場)
▽予約:give.melittlemore@gmail.com

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YOK.

2003年より様々な場所でギターを持ち、
バーや,カフェ,ライブハウス、フェス、ギャラリー,国際芸術祭、親しい友人の部屋などで歌を歌う。

14年間自身により活動。日本国内を自身で回り、また国内外アーティストと共演しライブを展開している。
自主企画音源から全て楽曲の制作、演奏、録音、ミックスまで自身で手がける。
2006年自主企画30枚限定CDをリリース。
2011年主催レーベルKIRIN RECORDSを立ち上げる。
2011年7月自主企画レーベルによる1stアルバム「Days with hearts」全国流通発売。
2013年8月には2ndアルバムで、自主制作音源の「歌ったり 踊ったりする。」 を、P-VINEよりリリース。
2015年4月自主企画レーベルによる3rd「I remember you.」をリリース。

バンドから、クラシックギターでの弾き語り、またアコースティックによるアシッドフォークのような形へと常に変容し続けている。
色彩溢れる紡ぎ出す詩、柔らかでポップなサウンドが愛されている。

岡沢じゅん

徳島県生まれ、小学校1年まで愛媛県、そのあと高校1年の夏まで岡山県倉敷市、高校1年の2学期からまた愛媛に戻り、ファッションデザインに興味を持ちはじめる。 
信州大学繊維学部入学後、前期を終えて休学し渡英、ノッティンガムトレント大学基礎デザインコースに。ある日大学の図書館でJean Dubuffetの画集に出会い、後期からファインアートへ。 
絵は学校で学ぶものじゃないと思い、1年で帰国。将来が真っ白になり、ふとバンドがやりたかったことに気がつく。 
唯一知っているギターの弾ける友達の元ちゃんに電話。 
「バンドやらない?」「いいよー」と彼が言ったので、松本市へ。 
しかしいっこうに本気出してくれないので、友人を頼って長野市へ。 
この頃からすでに居候癖があった。 
休学中だったので大学に籍があり、朝9時から夜9時まで大学の音楽室に入り浸り、ピアノを弾いたりドラムを叩いたりしていた。 
この頃には既に、恵比寿の某ギターショップにてマディーウォーターズレリックのテレキャスターに一目惚れ、持っていたお金ぜんぶはたいて手に入れている。 
大学の友人が海で亡くなり、追悼ライブのため『ざ・はっぴいず』結成。 
ライブハウスから電話がかかってきたのを機に、本格的に活動を開始。この頃には漠然とだけど、絵と唄でやっていこうと決めている。ひとつには絞れなかった。 
満員御礼ワンマンライブ、そしてはじめての関西ツアー、京都磔々、梅田ハードレイン、伊勢リズムという、最高の3日間。 
しかし、メンバーの就職で2004年の3月に活動停止。 
4月から愛媛へ。6月に結婚、11月に息子が生まれる。 
2005年に長野市に戻り、絵と唄の両方でなんとかやっていこうとする。 
子供が1歳になるころだったか、制作のため友人の親が所有していた雑居ビルにアトリエを構え、3階、3Fということで、fafafastudioと命名。 
向かいの部屋に住んでいたサッシにバンドを持ちかけ、『ザ・ビアーズ』結成。 
スタジオや3階、または市民用の貸しスペースに楽器を持ち込んで狂ったようにリハーサル。実際、狂っていたと思う。 
いや、ただ何もわかってはいなかったのだ。未だにそうではあるけれど。 
2008年、バンドはどんどんよくなっていたが、お金は底をついて、ファーストアルバムのレコ発のタイミングで全てがピークに至り崩壊、バンドも家族も僕自身も。 
すべて無くした気で、もう歌えそうになくなっていたけど、名古屋のJaajaのゆうにゃんが、いい歌なんだから歌ってよ、と言ってくれて、いろんなところに連れていってくれたおかげで、ゆっくりとなんとか復活。 
2010年夏、Jaajaといっしょにスウェーデン、ドイツと演奏ツアー。それまでに2枚のデモCDを制作。 
2011年東日本大震災。そのあとの5月にソロのファーストアルバム、「太陽が濡れている」発売。 
2012年4月頃、家賃が全然払えなくなってきて、強制退去。 
持ち物をほとんど処分して手に持てるだけにし、家なしに。 
ぎりぎりセカンドアルバム「涙で冷やして」完成も、録音や最終ミックスを急いで仕上げたため、なんとなく出せずじまいで今のところお蔵入りに。 
サッシが引っ越したあと、すこしのあいだ向かいに住んでいたイクマくんの松本の家に居候することが増えて、いつのまにか『ぐっとクルー』結成。 
信大銀嶺祭のおりに、にーみくん、いくまくんと3人で演奏したのがきっかけ。 
最初はエレキギター2本とドラムのベースレスだった。 
そのあと5人編成になったりしつつも、いくちゃんとふたり編成に。 
いくちゃんはベースのナガハピくんの家に転がり込み、そこによく行っているうちに今の3人に。 
2013年大晦日、読売ランドのそばに住みはじめて、今に至る。 
2014年2月、ぐっとクルーのファーストアルバム『もたれないワールド』を縁あってP-VINEよりリリース。